長時間の移動やデスクワークで足が重く感じたり、むくみが強くなった経験はありませんか?その背後には「エコノミークラス症候群(Deep Vein Thrombosis:DVT)」と呼ばれる疾患のリスクが潜んでいます。かつては飛行機のエコノミーシートで発症したことから名付けられましたが、実際には新幹線・自動車・在宅勤務・入院中など、長時間動かない環境であればどこでも起こり得ます。特に高齢者、肥満傾向のある方、下肢静脈瘤や心疾患の既往がある方は要注意です。本記事では、理学療法の視点も交えながら、発症のメカニズムから実践的な予防法までを詳しく解説します。
エコノミークラス症候群とは
長時間同じ姿勢がもたらす危険性
エコノミークラス症候群とは、下肢の深部静脈に血液の塊(血栓)ができる「深部静脈血栓症(DVT)」が原因で、血栓が肺に流れ込むことで「肺塞栓症(PE)」を引き起こす病態を指します。発症すると突然の息切れ、胸痛、意識消失などを伴い、最悪の場合は命を落とすこともあります。狭い座席やデスクワークで膝を曲げたままの姿勢が続くと、ふくらはぎの筋肉が動かず、下肢の静脈血が心臓に戻りにくくなります。これにより血液が滞り、静脈内で凝固が進行しやすくなるのです。
また、加圧された空間(機内など)では体内の水分が減少し、血液が粘り気を帯びて固まりやすくなります。これらが重なると血栓形成のリスクが一気に上昇します。
血栓ができるメカニズム
血栓形成は「ヴィルヒョウの三徴」と呼ばれる三つの因子 ― ①血流の停滞、②血管内皮の損傷、③血液凝固能の亢進 ― によって説明されます。長時間の座位はこのうち「血流の停滞」を引き起こします。下腿三頭筋(腓腹筋・ヒラメ筋)は「第二の心臓」とも呼ばれ、歩行や足関節運動によって静脈血を押し上げるポンプの役割を果たします。しかし動かずにいるとこの作用が止まり、静脈圧が上昇して血液が溜まり、やがて血栓が形成されます。
さらに、脱水や喫煙、経口避妊薬の使用、長期臥床などが加わると、血液がより凝固しやすくなり、発症リスクは一段と高まります。これらの因子が複合的に関与するため、「自分は大丈夫」と過信せず、意識的な予防行動が必要です。
リスクが高まる要因
座位姿勢と下肢血流の関係
長時間座位では、膝関節が屈曲し、腸骨静脈や膝窩静脈が圧迫されます。その結果、静脈還流が著しく低下し、下肢にうっ血が生じます。特に足を組む姿勢は一方の下肢静脈をさらに圧迫するため、左右差のあるむくみやだるさが現れやすくなります。また、姿勢によっては坐骨下部に体重が集中し、骨盤周囲の筋緊張が高まることで、下肢血流のポンプ作用が抑制されます。
理学療法の現場でも、長時間座位を強いられる患者に対し、下肢挙上や足関節の背屈運動を定期的に促すことが推奨されています。これにより、血液の滞留を防ぎ、静脈弁機能を維持することができます。
脱水やアルコール摂取の影響
脱水は血液の粘度を高め、血栓形成の大きな誘因となります。飛行機内や長時間の運転中は湿度が低く、汗や呼気を通じて体内の水分が失われやすくなります。また、アルコールには利尿作用があり、一時的な水分摂取のつもりがかえって脱水を悪化させることもあります。
さらにカフェイン飲料も同様に利尿を促進するため、コーヒーやエナジードリンクの過剰摂取は控えるべきです。理想的には1時間にコップ半分程度の水をこまめに摂取することが推奨されます。
既往歴や体質によるリスク
下肢静脈瘤、肥満、心疾患、悪性腫瘍、妊娠・産褥期、経口避妊薬の使用などは、エコノミークラス症候群の発症リスクを高めます。これらの条件下では血液凝固能が亢進しており、わずかな血流停滞でも血栓形成に至ることがあります。また、遺伝的に血栓ができやすい体質(プロトロンビン変異、アンチトロンビン欠損など)を持つ人も注意が必要です。
こうした背景を持つ方は、旅行前や長距離移動前に医師へ相談し、必要に応じて弾性ストッキングや抗凝固薬の使用を検討することが望まれます。
予防のためにできること
定期的な運動とストレッチ
最も効果的な予防法は、「動かすこと」です。30〜60分に一度、立ち上がって歩く・つま先立ちをする・膝の屈伸を行うなどの軽い運動を取り入れましょう。特にふくらはぎの筋ポンプを刺激することが重要で、足首を上下に動かすだけでも血流量が顕著に増加します。飛行機や新幹線では、通路側の席を選び、立ち上がりやすい環境を整えることも予防に繋がります。
また、足首回しやふくらはぎマッサージを行うことで筋ポンプ作用を補助し、静脈弁の開閉を助けることができます。
水分摂取とカフェインの注意点
水分補給は「少量をこまめに」が基本です。特に長時間の移動中は、のどの渇きを感じる前に摂取することが大切です。コーヒー・緑茶・アルコールなどの利尿作用を持つ飲料は、摂取直後に尿量が増えるため、結果的に体内水分を減らしてしまいます。代わりにミネラルウォーターや電解質を含む飲料を選び、血液の粘度を下げることを意識しましょう。
弾性ストッキングの活用
弾性ストッキング(コンプレッションストッキング)は、下肢静脈血のうっ滞を防ぐ有効な方法です。足首から段階的に圧をかけることで、静脈血の還流を促進します。医療用ストッキングを使用する場合は、圧力やサイズを適切に選ぶことが重要であり、理学療法士や医師に相談することをおすすめします。旅行前に一度装着して慣れておくと、長時間の移動でも快適に使用できます。
飛行機以外での注意点
車・新幹線・在宅勤務での発症リスク
「エコノミークラス症候群=飛行機」と思われがちですが、実際には車・バス・新幹線、さらには在宅勤務でも発症するケースがあります。特に長距離ドライブでは休憩を取らずに運転し続ける人が多く、下肢を動かす機会が減少します。新幹線でも座席間が狭いと、足元が圧迫され血流が滞ります。
また、在宅勤務の増加に伴い、自宅で長時間座り続けることによる「デスクワーク型DVT」も報告されています。自宅にいる場合でも1時間に一度は立ち上がり、軽く体を動かす習慣を身につけることが予防につながります。
日常生活における予防習慣
普段からできる予防として、適度な運動、バランスのとれた食事、禁煙、そして体重管理が挙げられます。特にウォーキングや自転車運動は下肢の循環を改善し、血栓予防に効果的です。
また、就寝中の足の冷えを防ぐために軽いストレッチを取り入れたり、寝具の高さを工夫して下肢を少し高く保つことも推奨されます。小さな積み重ねが、重大な疾患を防ぐ大きな一歩になります。
まとめ
エコノミークラス症候群は「誰にでも起こりうる」病態です。発症の背景には、血流の停滞・脱水・体質・姿勢など、日常生活に潜む多くの要因が関係しています。しかし、意識的に体を動かし、水分を補給し、姿勢を整えることで大半は予防可能です。
特に理学療法の観点からは、「動かす」「流す」「圧を調整する」という3つの視点が予防の鍵となります。長時間の移動やデスクワークを避けられない現代社会において、自分の体を守るための“セルフケア習慣”を身につけることが、健康維持の第一歩です。